虎屋文庫:和菓子だより
『あじの花』 幕末~明治時代頃
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 大坂の菓子屋「高岡福信」作成と考えられる見本帳(デザイン帳)です。274点の菓子の意匠と銘が記録されています。 江戸時代以降、各地の菓子屋ではこうした帳面を作り、注文を受ける際に顧客に見せたり、店の覚えとして使ったりしていました。手描きが多いなか、『あじの花』は版本という点で珍しく、顧客に配ったものと思われます。どの頁にも、さまざまな色かたちの華やかな菓子が並んでおり、単なる商品カタログとしてだけでなく、眺めて楽しむ趣味本としての側面もあったのではと想像させられます。 表紙
『あじの花』 幕末~明治時代頃
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 大坂の菓子屋「高岡福信」作成と考えられる見本帳(デザイン帳)です。274点の菓子の意匠と銘が記録されています。 江戸時代以降、各地の菓子屋ではこうした帳面を作り、注文を受ける際に顧客に見せたり、店の覚えとして使ったりしていました。手描きが多いなか、『あじの花』は版本という点で珍しく、顧客に配ったものと思われます。どの頁にも、さまざまな色かたちの華やかな菓子が並んでおり、単なる商品カタログとしてだけでなく、眺めて楽しむ趣味本としての側面もあったのではと想像させられます。 表紙
羊羹のような音
Beethoven Symphonie Nr.5 c-moll op.67 Viola パート譜から 一部写譜 「(ウッ)タタタダァーン」有名なベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の冒頭。「最後の伸ばす音は、羊羹のような音で下さい!」と指揮者から指示が飛ぶ。 この指示は「羊羹のように最後まで詰まった音」。つまり「音が尻すぼみにならない、デクレッシェンドしない、最後まで音量を維持する」ということを意味しています。楽器や歌を習ったことのある方の中には、ロングトーン(ある一定の音を均一に長く出す)の練習などで、一度は耳にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。 現在は日本だけでしか通用しない表現ですが、羊羹が世界に広がり、味わってもらえれば、ウィーン・フィルやベルリン・フィルでも「羊羹のような音」が通用する時が来るかもしれません。 Bitte spielen Sie mit dem Ton wie ein Yokan. (羊羹のような音で演奏して下さい)
羊羹のような音
Beethoven Symphonie Nr.5 c-moll op.67 Viola パート譜から 一部写譜 「(ウッ)タタタダァーン」有名なベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の冒頭。「最後の伸ばす音は、羊羹のような音で下さい!」と指揮者から指示が飛ぶ。 この指示は「羊羹のように最後まで詰まった音」。つまり「音が尻すぼみにならない、デクレッシェンドしない、最後まで音量を維持する」ということを意味しています。楽器や歌を習ったことのある方の中には、ロングトーン(ある一定の音を均一に長く出す)の練習などで、一度は耳にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。 現在は日本だけでしか通用しない表現ですが、羊羹が世界に広がり、味わってもらえれば、ウィーン・フィルやベルリン・フィルでも「羊羹のような音」が通用する時が来るかもしれません。 Bitte spielen Sie mit dem Ton wie ein Yokan. (羊羹のような音で演奏して下さい)
『あじわい』誌の冬号に寄稿しています
全国銘産菓子工業協同組合発行『あじわい』にて連載中の「資料に見る和菓子」。第4回のテーマは「菓子袋」です。江戸~明治期にかけて作られた、美しい絵入りの菓子袋をご紹介しています。 下記からもご覧いただけますので、是非ご一読くださいませ。 http://www.ajiwai.or.jp/index.html
『あじわい』誌の冬号に寄稿しています
全国銘産菓子工業協同組合発行『あじわい』にて連載中の「資料に見る和菓子」。第4回のテーマは「菓子袋」です。江戸~明治期にかけて作られた、美しい絵入りの菓子袋をご紹介しています。 下記からもご覧いただけますので、是非ご一読くださいませ。 http://www.ajiwai.or.jp/index.html
『缶詰羊羹』の缶 昭和28~35年(1953~60)頃の使用品
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 15.0×6.5×4.5(cm) 撮影:小山雄司郎氏 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 とらやでは、明治時代(1868~1912)末期から昭和43年(1968)頃まで、缶詰入の羊羹を製造していました。密閉性が高く、海外への輸出用に使われたほか、戦時中には戦地慰問用に、戦後は国内で通常商品としても親しまれました。ご記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんね。コンビーフ缶のように、鍵で缶の一部を帯状に巻き取って開けるタイプでした。 巻き取り鍵 内容量(450g)が表示されている。 側面の穴は充填口。
『缶詰羊羹』の缶 昭和28~35年(1953~60)頃の使用品
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 15.0×6.5×4.5(cm) 撮影:小山雄司郎氏 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 とらやでは、明治時代(1868~1912)末期から昭和43年(1968)頃まで、缶詰入の羊羹を製造していました。密閉性が高く、海外への輸出用に使われたほか、戦時中には戦地慰問用に、戦後は国内で通常商品としても親しまれました。ご記憶にある方もいらっしゃるかもしれませんね。コンビーフ缶のように、鍵で缶の一部を帯状に巻き取って開けるタイプでした。 巻き取り鍵 内容量(450g)が表示されている。 側面の穴は充填口。
昭和初期の羊羹製造風景
このレトロな写真は、赤坂伝馬町(現・東京工場所在地)にあった虎屋の製造場で、昭和4年(1929)に撮影されました。 画面右では、職人が「エンマ」と呼ばれる大きな杓文字(しゃもじ)を使い、釜の中を混ぜています。羊羹を煉っているのでしょうか。左側の職人の前にあるのは、煉りあげた羊羹を流し入れる「舟」という容器です。羊羹が固まったあと、切り分けて錫箔(すずはく)などで包装しました。手前左側にわずかに見えるのは竹皮に包まれた『夜の梅』で、その隣の細長い金属の容器は缶詰羊羹(※)です。 ちなみに、この『夜の梅』のサイズは、現在の大形羊羹とほぼ同じです。また、缶詰羊羹は保存性が高いことから、海外向けの商品としても販売されました。 ※缶詰羊羹(昭和11年のお菓子のご案内より)
昭和初期の羊羹製造風景
このレトロな写真は、赤坂伝馬町(現・東京工場所在地)にあった虎屋の製造場で、昭和4年(1929)に撮影されました。 画面右では、職人が「エンマ」と呼ばれる大きな杓文字(しゃもじ)を使い、釜の中を混ぜています。羊羹を煉っているのでしょうか。左側の職人の前にあるのは、煉りあげた羊羹を流し入れる「舟」という容器です。羊羹が固まったあと、切り分けて錫箔(すずはく)などで包装しました。手前左側にわずかに見えるのは竹皮に包まれた『夜の梅』で、その隣の細長い金属の容器は缶詰羊羹(※)です。 ちなみに、この『夜の梅』のサイズは、現在の大形羊羹とほぼ同じです。また、缶詰羊羹は保存性が高いことから、海外向けの商品としても販売されました。 ※缶詰羊羹(昭和11年のお菓子のご案内より)
三代歌川豊国「十二月の内 小春 初雪」嘉永7年(1854)
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 江戸の情景を12ヶ月に当てて描いたシリーズのうちのひとつです。「小春」は陰暦10月の異称で、現在の11月頃にあたります。ご注目いただきたいのは、左側に描かれた焼き芋屋。竈(かまど)にのせた鉄の平釜に芋を入れ、木蓋をし、蒸し焼きにしているものと思われます。うしろの籠には山盛りのさつま芋が見え、その人気がうかがえますね。なお、現在主流の石焼きが広まるのは昭和30年代以降のことです。 看板の「大々叶」は、この絵の売れ行きを願って書かれたものともいわれる。 現在でも大相撲の番付などに成功を祈願して書かれる。 注釈 参考 「十二月の内 小春 初雪」解題/抄録」(国立国会図書館ホームページ)
三代歌川豊国「十二月の内 小春 初雪」嘉永7年(1854)
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 江戸の情景を12ヶ月に当てて描いたシリーズのうちのひとつです。「小春」は陰暦10月の異称で、現在の11月頃にあたります。ご注目いただきたいのは、左側に描かれた焼き芋屋。竈(かまど)にのせた鉄の平釜に芋を入れ、木蓋をし、蒸し焼きにしているものと思われます。うしろの籠には山盛りのさつま芋が見え、その人気がうかがえますね。なお、現在主流の石焼きが広まるのは昭和30年代以降のことです。 看板の「大々叶」は、この絵の売れ行きを願って書かれたものともいわれる。 現在でも大相撲の番付などに成功を祈願して書かれる。 注釈 参考 「十二月の内 小春 初雪」解題/抄録」(国立国会図書館ホームページ)