虎屋文庫:和菓子だより
肥後細川庭園 庭Cafeトーク「和菓子と四季」のお知らせ
日本文化と自然の楽しみ方をテーマにした連続講座で、虎屋文庫 河上可央理が講師を務めます。数百年前から伝わる和菓子のカタログ「菓子見本帳」などをご紹介しながら、和菓子の歴史や美しいデザインについてお話しさせていただきます。 ※会場参加の申し込みは終了しました。現在オンライン参加を受け付け中です。 開催日:2021年3月18日(木) 18:30~20:00 対象・料金:どなたでも・1,000円 (要予約/先着100名) Zoomウェビナーによる講習となります。 お問合せ先:文京区立肥後細川庭園(03-3941-2010) 詳しくはこちらをご覧ください。
肥後細川庭園 庭Cafeトーク「和菓子と四季」のお知らせ
日本文化と自然の楽しみ方をテーマにした連続講座で、虎屋文庫 河上可央理が講師を務めます。数百年前から伝わる和菓子のカタログ「菓子見本帳」などをご紹介しながら、和菓子の歴史や美しいデザインについてお話しさせていただきます。 ※会場参加の申し込みは終了しました。現在オンライン参加を受け付け中です。 開催日:2021年3月18日(木) 18:30~20:00 対象・料金:どなたでも・1,000円 (要予約/先着100名) Zoomウェビナーによる講習となります。 お問合せ先:文京区立肥後細川庭園(03-3941-2010) 詳しくはこちらをご覧ください。
三代歌川豊国「甲子春黄金若餅」文久3年(1863)
(5枚続きの内の右2枚) 右奥に、もち米を蒸す大きな釜と蒸籠(せいろう)が見える。 (5枚続きの内の左3枚) 鏡餅やのし餅などが並べられている。 年末の風物詩である餅搗きの情景を描いた5枚続きの錦絵です。人物には、当時人気の歌舞伎役者が当てられています。軒先で餅を搗き、それを屋内でちぎって筵(むしろ)に並べたり、辛味餅用に大根をおろしたりと、忙しく立ち働く人々が描かれ、賑やかな話し声や掛け声が聞こえてくるかのようです。 江戸の町には、年末になると、釜・蒸籠(せいろ)・臼・杵を持っていき、注文を受けると往来や民家の前などで餅を搗いて売る行商の姿が見られ、引きずり餅や賃餅と呼ばれて庶民の間で親しまれていました。一方で、武家や商家といった奉公人の多い家では家内で用意したため、自家で餅を搗けるのは金持ちと見なされたといいます。上の絵は裕福な商家をイメージしたものでしょうか。餅搗き一つにもその時代ならではの風俗が見えて面白いですね。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。
三代歌川豊国「甲子春黄金若餅」文久3年(1863)
(5枚続きの内の右2枚) 右奥に、もち米を蒸す大きな釜と蒸籠(せいろう)が見える。 (5枚続きの内の左3枚) 鏡餅やのし餅などが並べられている。 年末の風物詩である餅搗きの情景を描いた5枚続きの錦絵です。人物には、当時人気の歌舞伎役者が当てられています。軒先で餅を搗き、それを屋内でちぎって筵(むしろ)に並べたり、辛味餅用に大根をおろしたりと、忙しく立ち働く人々が描かれ、賑やかな話し声や掛け声が聞こえてくるかのようです。 江戸の町には、年末になると、釜・蒸籠(せいろ)・臼・杵を持っていき、注文を受けると往来や民家の前などで餅を搗いて売る行商の姿が見られ、引きずり餅や賃餅と呼ばれて庶民の間で親しまれていました。一方で、武家や商家といった奉公人の多い家では家内で用意したため、自家で餅を搗けるのは金持ちと見なされたといいます。上の絵は裕福な商家をイメージしたものでしょうか。餅搗き一つにもその時代ならではの風俗が見えて面白いですね。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。
パリ店開店5周年記念 銘々皿 昭和60年(1985)
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 和紙の銘々皿(森田和紙製)。左上より時計回りに、三代目市川高麗蔵の志賀大七、嵐龍蔵の金貨石部金吉、市川蝦蔵の竹村定之進。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく・生没年未詳)の浮世絵作品をモチーフにした銘々皿。これは、昭和60年(1985)のとらやパリ店開店5周年記念イベントの際、招待したお客様にお配りしたものです。イベントは日本文化の紹介を軸に、年中行事と和菓子に関する展示や、製造実演も行うなど、盛大なものでした。海外でも人気のある写楽ならではの、迫力のある役者の表情が目を惹くこの皿の配布も、その成功に一役買ったことでしょう。 当時、初代支配人が社内報に寄せた文章には、「フランス人の嗜好に食い込むのには、かなりの努力を必要としました。(中略)五年前、店を出発する際に皆さんの前で、一日も早くトラヤ・フランスが一人歩きの出来る様努力します、と誓いましたが、残念ながら力及ばず、一人歩きは出来ませんでしたが、一人で立ち上がる力は持てた様に思います。」とあり、和菓子の普及に苦労しながらも、少しずつ手応えを感じ始めた様子がうかがえます。そのパリ店も、今年で40周年を迎えました。現在では和菓子を召し上がるフランスの方も増え、3世代にわたってご愛顧くださるお客様もいらっしゃいます。先人たちの地道な努力が実を結んだ結果といえるでしょう。 虎屋赤坂ギャラリーでは、2021年4月11日(日)まで「ようこそ!お菓子の国へ ―日本とフランス 甘い物語―」 展を開催していますので、ぜひお立ち寄りくださいませ。
パリ店開店5周年記念 銘々皿 昭和60年(1985)
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 和紙の銘々皿(森田和紙製)。左上より時計回りに、三代目市川高麗蔵の志賀大七、嵐龍蔵の金貨石部金吉、市川蝦蔵の竹村定之進。 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく・生没年未詳)の浮世絵作品をモチーフにした銘々皿。これは、昭和60年(1985)のとらやパリ店開店5周年記念イベントの際、招待したお客様にお配りしたものです。イベントは日本文化の紹介を軸に、年中行事と和菓子に関する展示や、製造実演も行うなど、盛大なものでした。海外でも人気のある写楽ならではの、迫力のある役者の表情が目を惹くこの皿の配布も、その成功に一役買ったことでしょう。 当時、初代支配人が社内報に寄せた文章には、「フランス人の嗜好に食い込むのには、かなりの努力を必要としました。(中略)五年前、店を出発する際に皆さんの前で、一日も早くトラヤ・フランスが一人歩きの出来る様努力します、と誓いましたが、残念ながら力及ばず、一人歩きは出来ませんでしたが、一人で立ち上がる力は持てた様に思います。」とあり、和菓子の普及に苦労しながらも、少しずつ手応えを感じ始めた様子がうかがえます。そのパリ店も、今年で40周年を迎えました。現在では和菓子を召し上がるフランスの方も増え、3世代にわたってご愛顧くださるお客様もいらっしゃいます。先人たちの地道な努力が実を結んだ結果といえるでしょう。 虎屋赤坂ギャラリーでは、2021年4月11日(日)まで「ようこそ!お菓子の国へ ―日本とフランス 甘い物語―」 展を開催していますので、ぜひお立ち寄りくださいませ。
明治時代の内国勧業博覧会に 牛乳と卵入りの羊羹出品!
第1~3回は東京の上野公園が開催地だった。 方円舎清親「内国勧業博覧会之図」(1877)国立国会図書館蔵 明治10~36年(1877~1903)に5回にわたり、内国勧業博覧会が開催。国内の産業発展や魅力ある輸出品の創作を目指したもので、全国各地から伝統工芸品や農産物ほか、和菓子、ケーキなどの洋菓子、和に洋の要素を取り入れた和洋折衷菓子も出品されました。 ここで注目したいのは、第1回、第2回の出品記録に残る、岡田友七(店名不明)の「羊羹 牛乳鶏卵入」です。ささげの漉粉・砂糖・卵・牛乳を寒天で煉り固めた菓子で、報告書によれば、普通の煉羊羹より、美味かつ滋養効果が高いとのこと。当時は牛乳の栄養価が注目されており、出品物には「円形牛乳打物」(落雁か)、「牛乳煎餅」などもありました。 現在も、「ミルク羊羹」「牛乳羊羹」の家庭用レシピが、ネット上で紹介されていますが、寒天と牛乳のみで作るシンプルなもの、小豆や生クリーム、豆乳を使うものなど、様々です。岡田友七の羊羹は、その先駆けともいえ、牛乳・ささげの漉粉・卵の組み合わせが、ユニーク。ミルクセーキ羊羹ともいえるかもしれません。 注釈 参考 橋爪伸子「近代日本の食文化における乳の受容と菓子」(『近代日本の乳食文化–その経緯と定着–』中央法規出版株式会社、2019年)
明治時代の内国勧業博覧会に 牛乳と卵入りの羊羹出品!
第1~3回は東京の上野公園が開催地だった。 方円舎清親「内国勧業博覧会之図」(1877)国立国会図書館蔵 明治10~36年(1877~1903)に5回にわたり、内国勧業博覧会が開催。国内の産業発展や魅力ある輸出品の創作を目指したもので、全国各地から伝統工芸品や農産物ほか、和菓子、ケーキなどの洋菓子、和に洋の要素を取り入れた和洋折衷菓子も出品されました。 ここで注目したいのは、第1回、第2回の出品記録に残る、岡田友七(店名不明)の「羊羹 牛乳鶏卵入」です。ささげの漉粉・砂糖・卵・牛乳を寒天で煉り固めた菓子で、報告書によれば、普通の煉羊羹より、美味かつ滋養効果が高いとのこと。当時は牛乳の栄養価が注目されており、出品物には「円形牛乳打物」(落雁か)、「牛乳煎餅」などもありました。 現在も、「ミルク羊羹」「牛乳羊羹」の家庭用レシピが、ネット上で紹介されていますが、寒天と牛乳のみで作るシンプルなもの、小豆や生クリーム、豆乳を使うものなど、様々です。岡田友七の羊羹は、その先駆けともいえ、牛乳・ささげの漉粉・卵の組み合わせが、ユニーク。ミルクセーキ羊羹ともいえるかもしれません。 注釈 参考 橋爪伸子「近代日本の食文化における乳の受容と菓子」(『近代日本の乳食文化–その経緯と定着–』中央法規出版株式会社、2019年)
こなしは「こなし羊羹」の略だった!
大阪の菓子屋、菊壽堂義信の主人による『日本菓子製造独案内 』(1904) より (左:表紙 右:こなし羊羹の説明) 関西で親しまれている上生菓子の製法に「こなし」があります※。餡に小麦粉などを混ぜて蒸し、もむ製法で、名称は「もみこなす」に由来すると考えられます。意外に思われるかもしれませんが、菓子としての羊羹の最も古い製法を今に伝えるもので、江戸時代には「もみ羊羹」「こなし羊羹」などとも呼ばれていました。「こなし羊羹」の名はよく使われたのか、明治37年(1904)刊行の菓子製法書にも見えます(上図)。しかし、「羊羹」といえば煉羊羹が主流になるにしたがい、「こなし」が一般的な呼び名になったと思われます。 ちなみに虎屋では、「こなし」と同じ製法を、江戸時代には「羊羹仕立」、明治時代後期以降には「羊羹製」と呼んでいます。「羊羹」の名前や製法を重視し、残したいという強い思いがあったのかもしれません。 ※関東では、餡に求肥や薯蕷(山芋)の生地を混ぜて煉りあげる「煉切」(ねりきり)の方がなじみ深い。 参考 羊羹製『梢の秋』 注釈 参考 羊羹の変遷については、虎屋文庫著『ようかん』 (新潮社、2019年)をご参照ください。
こなしは「こなし羊羹」の略だった!
大阪の菓子屋、菊壽堂義信の主人による『日本菓子製造独案内 』(1904) より (左:表紙 右:こなし羊羹の説明) 関西で親しまれている上生菓子の製法に「こなし」があります※。餡に小麦粉などを混ぜて蒸し、もむ製法で、名称は「もみこなす」に由来すると考えられます。意外に思われるかもしれませんが、菓子としての羊羹の最も古い製法を今に伝えるもので、江戸時代には「もみ羊羹」「こなし羊羹」などとも呼ばれていました。「こなし羊羹」の名はよく使われたのか、明治37年(1904)刊行の菓子製法書にも見えます(上図)。しかし、「羊羹」といえば煉羊羹が主流になるにしたがい、「こなし」が一般的な呼び名になったと思われます。 ちなみに虎屋では、「こなし」と同じ製法を、江戸時代には「羊羹仕立」、明治時代後期以降には「羊羹製」と呼んでいます。「羊羹」の名前や製法を重視し、残したいという強い思いがあったのかもしれません。 ※関東では、餡に求肥や薯蕷(山芋)の生地を混ぜて煉りあげる「煉切」(ねりきり)の方がなじみ深い。 参考 羊羹製『梢の秋』 注釈 参考 羊羹の変遷については、虎屋文庫著『ようかん』 (新潮社、2019年)をご参照ください。
菓子切手 江戸~明治時代
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 饅頭切手 虎屋伊織 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 菓子切手とは現在の商品券のようなもので、菓子券とも呼ばれ、江戸時代後期から明治時代にかけて盛んに流通していました。 一説には大坂高麗橋の虎屋伊織(現在の鶴屋八幡)が発行した「饅頭切手」がはじまりといわれ、菓子以外にも酒や豆腐・鮨など食品の切手が多く作られています。 当時の日記などから、切手は贈答品として広く使われたことがうかがえます。慶事や弔事のお使い物はもちろん、かさばらない、ちょっとした手土産としても好まれました。また、日保ちのしない品の場合、貰い手の都合の良い時に商品を交換できることが重宝された要因でしょう。 下の画像は、菓子切手の一つ「羊羹切手」。年代は異なりますが、同じ大坂長堀問屋橋の長濱屋重房の「引札」(現在の広告チラシ類)も併せて紹介します。最初に大きく浪華羊羹の文字があり、切手を販売していることも強調しています。 羊羹切手 長濱屋重房 引札 長濱屋重房(年代不詳) 「浪華羊羹 切手御座候」の文字がみえる
菓子切手 江戸~明治時代
菓子資料室 虎屋文庫では虎屋歴代の古文書や古器物に加え、菓子に関わるさまざまな資料を所蔵しています。このコーナーでは、その一部をご紹介していきます。 饅頭切手 虎屋伊織 *画像をご使用になりたい方は虎屋文庫までご連絡くださいませ。 菓子切手とは現在の商品券のようなもので、菓子券とも呼ばれ、江戸時代後期から明治時代にかけて盛んに流通していました。 一説には大坂高麗橋の虎屋伊織(現在の鶴屋八幡)が発行した「饅頭切手」がはじまりといわれ、菓子以外にも酒や豆腐・鮨など食品の切手が多く作られています。 当時の日記などから、切手は贈答品として広く使われたことがうかがえます。慶事や弔事のお使い物はもちろん、かさばらない、ちょっとした手土産としても好まれました。また、日保ちのしない品の場合、貰い手の都合の良い時に商品を交換できることが重宝された要因でしょう。 下の画像は、菓子切手の一つ「羊羹切手」。年代は異なりますが、同じ大坂長堀問屋橋の長濱屋重房の「引札」(現在の広告チラシ類)も併せて紹介します。最初に大きく浪華羊羹の文字があり、切手を販売していることも強調しています。 羊羹切手 長濱屋重房 引札 長濱屋重房(年代不詳) 「浪華羊羹 切手御座候」の文字がみえる