虎屋文庫:資料展
第65回 今も昔もスローフード 和菓子 素材がいのち展
手作業で精製される砂糖「和三盆糖(わさんぼんとう)」、厳寒の冬に天日干しされる「糸寒天」など、和菓子の原材料には日本の伝統的かつ良質な食材が息づいています。今回は、スローフードに通じる和菓子の原材料の数々とともに、和菓子作りの道具、珍しい郷土の菓子などをご紹介しました。 和菓子は何でできている? 和菓子の素材は卵以外は植物性。小豆や米など日本人が昔から食べていた食材が使われており、中には伝統的な手作業で作られる希少なものもあります。以下、その一例をご紹介します。 和菓子の素材・例1和三盆糖 明治時代、安価な輸入砂糖によって国産砂糖はほとんど姿を消しました。徳島、香川の和三盆糖は、昔ながらの製法で、何日もかけて人の手で精製されます。風味と口溶けが素晴らしい砂糖です。 和菓子の素材・例2糸寒天 寒天は食物繊維を多く含み、ノンカロリーの健康食品。煉羊羹に寒天が使われていること、その寒天が海藻の天草(てんぐさ)からできていることはご存知でしょうか?厳寒の冬に天日で干し、何日もかけて作られる糸寒天は、虎屋の羊羹独特の粘りを出すために欠かせません。 あなたは桜餅の葉を食べますか? 桜餅をはじめ、竹皮、笹、柏葉など和菓子を包む自然の素材、黒文字(くろもじ)という木からできる菓子楊枝ほか、和菓子の周辺にもスポットをあてます。ところで桜餅についている葉を食べる人、食べない人の割合はどのくらいなのでしょうか。どちらが好まれているのかをホームページとギャラリー内でアンケートしました。集計結果は、食べる派:2934 食べない派:915 でした。 職人の不思議な道具 職人の手から魔法のように生まれる繊細な和菓子の美。和菓子作りの道具も長い歴史の中で工夫されてきました。「おだまき」「弓」など名前も不思議。果たしてどんな使い方をするのでしょう。和菓子職人の秘密を少しだけ公開。 展示品 小豆・寒天・和三盆糖・黒砂糖・葛粉・米・薯蕷・竹皮・桜葉ほか、和菓子の原材料とその周辺を中心に、製造道具、和菓子約40点(すべて本物)ほか、錦絵、写真パネルなど
第65回 今も昔もスローフード 和菓子 素材がいのち展
手作業で精製される砂糖「和三盆糖(わさんぼんとう)」、厳寒の冬に天日干しされる「糸寒天」など、和菓子の原材料には日本の伝統的かつ良質な食材が息づいています。今回は、スローフードに通じる和菓子の原材料の数々とともに、和菓子作りの道具、珍しい郷土の菓子などをご紹介しました。 和菓子は何でできている? 和菓子の素材は卵以外は植物性。小豆や米など日本人が昔から食べていた食材が使われており、中には伝統的な手作業で作られる希少なものもあります。以下、その一例をご紹介します。 和菓子の素材・例1和三盆糖 明治時代、安価な輸入砂糖によって国産砂糖はほとんど姿を消しました。徳島、香川の和三盆糖は、昔ながらの製法で、何日もかけて人の手で精製されます。風味と口溶けが素晴らしい砂糖です。 和菓子の素材・例2糸寒天 寒天は食物繊維を多く含み、ノンカロリーの健康食品。煉羊羹に寒天が使われていること、その寒天が海藻の天草(てんぐさ)からできていることはご存知でしょうか?厳寒の冬に天日で干し、何日もかけて作られる糸寒天は、虎屋の羊羹独特の粘りを出すために欠かせません。 あなたは桜餅の葉を食べますか? 桜餅をはじめ、竹皮、笹、柏葉など和菓子を包む自然の素材、黒文字(くろもじ)という木からできる菓子楊枝ほか、和菓子の周辺にもスポットをあてます。ところで桜餅についている葉を食べる人、食べない人の割合はどのくらいなのでしょうか。どちらが好まれているのかをホームページとギャラリー内でアンケートしました。集計結果は、食べる派:2934 食べない派:915 でした。 職人の不思議な道具 職人の手から魔法のように生まれる繊細な和菓子の美。和菓子作りの道具も長い歴史の中で工夫されてきました。「おだまき」「弓」など名前も不思議。果たしてどんな使い方をするのでしょう。和菓子職人の秘密を少しだけ公開。 展示品 小豆・寒天・和三盆糖・黒砂糖・葛粉・米・薯蕷・竹皮・桜葉ほか、和菓子の原材料とその周辺を中心に、製造道具、和菓子約40点(すべて本物)ほか、錦絵、写真パネルなど
第64回 福よ来い!占い・厄除け・開運菓子展
災いを払い福が来ることを願って、古来様々な菓子が作られてきました。今回は占いの紙が入った煎餅「辻占(つじうら)」、疱瘡(ほうそう)見舞い用の軽焼(かるやき)や赤い色の落雁、幸運な年回り「有卦(うけ)」に用意した「ふ」の字尽しの菓子、福を呼ぶ縁起菓子などをご紹介しました。 煎餅の中に占いが! 「辻占(つじうら)」という、小麦煎餅の中に小さな占いの紙が入った菓子があります。「おまえの心がききたいよ」「気をながくおまちよ」など、恋の行く末を思わせる艶めいたことが書かれており、江戸時代には花柳界を中心に大変人気を呼びました。今回は、辻占プレゼント(詳細は、同封の写真説明をご覧下さい)をはじめ、辻占の歴史や、今も作られる各地の占い菓子など、その魅力をご紹介しました。 菓子が厄除け? 災いを払い幸せに暮らせるよう、日本人は年中行事や人生の節目に菓子を食べてきました。現在は季節の菓子として知られる草餅や粽、亥の子餅も、もとは厄除けのために用意されたものです。また寺社でも厄除け菓子の授与があり、いただいた人はそれを食べたり、災いが家に入らないよう門などに飾ったりしました。ここでは年中行事のほか、各地の寺社に残る厄除けの菓子を展示しました。 菓子が病を軽くする? 医療技術が現在のように発達していなかった頃、病気は死に通じるものとして大変恐れられていました。人々は病が早く直り、健康になれるよう、さまざまな民間医療やまじないを行ってきました。そのうち、激しい高熱と発疹で恐れられた疱瘡(ほうそう)(天然痘(てんねんとう))の患者には、特別な菓子が見舞品に使われました。症状が軽く済むことを願った「軽焼(かるやき)」や、災いを払うと信じられた赤い色の干菓子など、疱瘡除けにちなむ菓子をご紹介しました。 幸運な年には菓子を食べよう! 江戸から明治時代、幸運が7年間続くという「有卦(うけ)」入りを祝う風習が広まりました。宮中では百味菓子(100種類の菓子)、武家や民間では、富士山や藤の花など「ふ」の字がつく菓子を用意しました。ここでは虎屋が宮中に納めた有卦の菓子を専用の箱(百味箱)に入れて再現しました。 今も続く招福の菓子 めでたい行事には、縁起の良い意匠の菓子がつきもの。定番の松竹梅や鶴亀の意匠のほか、石川県金沢市の福徳(諸江屋)、三重県津市の福引せんべい(平治煎餅本店)など、地方で作られる珍しい招福の菓子もご紹介しました。 展示品 菓子類…各地の辻占煎餅ほか占い菓子、厄除けの菓子、縁起菓子など約60点資料類…江戸時代の古文書・錦絵、疱瘡見舞用の菓子袋、百味菓子用の百味箱ほか
第64回 福よ来い!占い・厄除け・開運菓子展
災いを払い福が来ることを願って、古来様々な菓子が作られてきました。今回は占いの紙が入った煎餅「辻占(つじうら)」、疱瘡(ほうそう)見舞い用の軽焼(かるやき)や赤い色の落雁、幸運な年回り「有卦(うけ)」に用意した「ふ」の字尽しの菓子、福を呼ぶ縁起菓子などをご紹介しました。 煎餅の中に占いが! 「辻占(つじうら)」という、小麦煎餅の中に小さな占いの紙が入った菓子があります。「おまえの心がききたいよ」「気をながくおまちよ」など、恋の行く末を思わせる艶めいたことが書かれており、江戸時代には花柳界を中心に大変人気を呼びました。今回は、辻占プレゼント(詳細は、同封の写真説明をご覧下さい)をはじめ、辻占の歴史や、今も作られる各地の占い菓子など、その魅力をご紹介しました。 菓子が厄除け? 災いを払い幸せに暮らせるよう、日本人は年中行事や人生の節目に菓子を食べてきました。現在は季節の菓子として知られる草餅や粽、亥の子餅も、もとは厄除けのために用意されたものです。また寺社でも厄除け菓子の授与があり、いただいた人はそれを食べたり、災いが家に入らないよう門などに飾ったりしました。ここでは年中行事のほか、各地の寺社に残る厄除けの菓子を展示しました。 菓子が病を軽くする? 医療技術が現在のように発達していなかった頃、病気は死に通じるものとして大変恐れられていました。人々は病が早く直り、健康になれるよう、さまざまな民間医療やまじないを行ってきました。そのうち、激しい高熱と発疹で恐れられた疱瘡(ほうそう)(天然痘(てんねんとう))の患者には、特別な菓子が見舞品に使われました。症状が軽く済むことを願った「軽焼(かるやき)」や、災いを払うと信じられた赤い色の干菓子など、疱瘡除けにちなむ菓子をご紹介しました。 幸運な年には菓子を食べよう! 江戸から明治時代、幸運が7年間続くという「有卦(うけ)」入りを祝う風習が広まりました。宮中では百味菓子(100種類の菓子)、武家や民間では、富士山や藤の花など「ふ」の字がつく菓子を用意しました。ここでは虎屋が宮中に納めた有卦の菓子を専用の箱(百味箱)に入れて再現しました。 今も続く招福の菓子 めでたい行事には、縁起の良い意匠の菓子がつきもの。定番の松竹梅や鶴亀の意匠のほか、石川県金沢市の福徳(諸江屋)、三重県津市の福引せんべい(平治煎餅本店)など、地方で作られる珍しい招福の菓子もご紹介しました。 展示品 菓子類…各地の辻占煎餅ほか占い菓子、厄除けの菓子、縁起菓子など約60点資料類…江戸時代の古文書・錦絵、疱瘡見舞用の菓子袋、百味菓子用の百味箱ほか
第63回 源氏物語と和菓子展
『源氏物語』は、千年にわたり日本人のあこがれであり続け、文学のみならず絵画、工芸品をはじめ、様々な分野に影響を与えました。今回は『源氏物語』の情景を思わせる意匠や銘の菓子を、片野孝志先生作の料紙(平安朝和紙)とともに展示します。和菓子で描く『源氏物語』…雅やかな王朝の世界をお楽しみ下さい。 華麗 和菓子が彩る源氏物語の世界 長年宮中の御用を勤めてきた虎屋には、『源氏物語』の情景を思わせる意匠や銘の菓子が多数伝えられてきました。これらの菓子を、片野先生作の料紙と組み合わせることにより、華麗な『源氏物語』の世界が広がります。過去、大変ご好評をいただいた展示をもとに、これまでとは違った菓子、新作の料紙も加えてご覧いただきました。 源氏香図の和菓子 源氏香図とは、香道の源氏香という遊びに使う文様で、源氏物語五十四帖それぞれに異なった文様が決まっています。虎屋には、この源氏香図とそれぞれの帖にちなんだ植物を組み合せた菓子が、いくつか伝わっています。 紫式部も味わった…平安時代の菓子復元 華やかな王朝文化が花開いた平安時代ですが、食生活は意外と素朴でした。中国から伝わり、今や幻となった唐菓子、『源氏物語』にも登場する「椿餅」「亥の子餅」なども展示しました。 王朝の雅がよみがえる料紙の美 かつて平安貴族たちは、手紙や歌の贈答、歌集の筆写などに、料紙と呼ばれる美しい紙を使っていました。様々な技法が凝らされ、王朝の美意識を伝える料紙ですが、現代の私たちから見るととても斬新でもあります。片野孝志先生はこの技法を研究し、独自の創作活動をなさっています。片野孝志先生のご紹介1934年東京生まれ。「三十六人歌集」(平安時代作・国宝)に魅せられて以来、雅な料紙(平安朝和紙)の復元を試み、独自の創作活動を展開している。読売文化センター講師、北京中央美術学院客員講師などを勤める傍ら、ロンドン、パリ、ミラノ、中国など海外でも個展を催す。昨年は銀座松坂屋、大津市石山寺などで展示を開催した。『日本文様事典』(河出書房新社)ほか染紙についての著作も多数。 展示品 源氏物語の情景を思わせる菓子約40点、片野孝志作料紙31点、及び額絵など、平安時代の復元菓子ほか。
第63回 源氏物語と和菓子展
『源氏物語』は、千年にわたり日本人のあこがれであり続け、文学のみならず絵画、工芸品をはじめ、様々な分野に影響を与えました。今回は『源氏物語』の情景を思わせる意匠や銘の菓子を、片野孝志先生作の料紙(平安朝和紙)とともに展示します。和菓子で描く『源氏物語』…雅やかな王朝の世界をお楽しみ下さい。 華麗 和菓子が彩る源氏物語の世界 長年宮中の御用を勤めてきた虎屋には、『源氏物語』の情景を思わせる意匠や銘の菓子が多数伝えられてきました。これらの菓子を、片野先生作の料紙と組み合わせることにより、華麗な『源氏物語』の世界が広がります。過去、大変ご好評をいただいた展示をもとに、これまでとは違った菓子、新作の料紙も加えてご覧いただきました。 源氏香図の和菓子 源氏香図とは、香道の源氏香という遊びに使う文様で、源氏物語五十四帖それぞれに異なった文様が決まっています。虎屋には、この源氏香図とそれぞれの帖にちなんだ植物を組み合せた菓子が、いくつか伝わっています。 紫式部も味わった…平安時代の菓子復元 華やかな王朝文化が花開いた平安時代ですが、食生活は意外と素朴でした。中国から伝わり、今や幻となった唐菓子、『源氏物語』にも登場する「椿餅」「亥の子餅」なども展示しました。 王朝の雅がよみがえる料紙の美 かつて平安貴族たちは、手紙や歌の贈答、歌集の筆写などに、料紙と呼ばれる美しい紙を使っていました。様々な技法が凝らされ、王朝の美意識を伝える料紙ですが、現代の私たちから見るととても斬新でもあります。片野孝志先生はこの技法を研究し、独自の創作活動をなさっています。片野孝志先生のご紹介1934年東京生まれ。「三十六人歌集」(平安時代作・国宝)に魅せられて以来、雅な料紙(平安朝和紙)の復元を試み、独自の創作活動を展開している。読売文化センター講師、北京中央美術学院客員講師などを勤める傍ら、ロンドン、パリ、ミラノ、中国など海外でも個展を催す。昨年は銀座松坂屋、大津市石山寺などで展示を開催した。『日本文様事典』(河出書房新社)ほか染紙についての著作も多数。 展示品 源氏物語の情景を思わせる菓子約40点、片野孝志作料紙31点、及び額絵など、平安時代の復元菓子ほか。
第62回 虎屋五世紀のあゆみ 和菓子からWAGASHIへ展
虎屋は5世紀にわたり、和菓子を作り続けてまいりました。長らく京都で禁裏御用菓子屋を勤め、明治維新を機に東京へも出店。そして第二次世界大戦や終戦後の混乱を乗り越え、和菓子文化紹介のためパリとニューヨークに店舗を設けるなど、その歴史は変化に富んでいます。この展示では虎屋の足跡を、「掟書(おきてがき)」ほか秘蔵の史料とともにご紹介いたしました。 京都で生まれて5世紀 虎屋は室町時代の後期に創業。後陽成(ごようぜい)天皇(1586~1611在位)のときには京都で御所の御用を承るようになったと伝えられています。当時の様子はいまだ謎に包まれたままですが、関ヶ原の合戦(1600年)の際に、西軍の石河備前守(いしこびぜんのかみ)を虎屋がかくまった秘話などがあります。 最初の支店は江戸時代 はじめて虎屋が支店を出したのは、なんと正徳4年(1714)。その頃江戸では色形が美しい京菓子が大ブレーク中。虎屋もわずか1年あまりでしたが、久保町(現:港区西新橋1丁目)に店を設けました。今は銀行やオフィスビルが立ち並ぶビジネス街ですが、増上寺や参詣人が多かった愛宕山などにも近く、当時はなかなか賑やかな場所だったようです。 危機に直面!そのとき虎屋は!? 経営はいつも安定していたわけではなく、何度も危機に見舞われました。それを救ったのは、時代の流れをたくみに読み取った、歴代店主の英断でした。現代のリスクマネジメントにも通じる、危機克服のエピソードをご紹介しました。 ●天明の大火(1788)と不況を乗り切る-9代光利(みつとし)の店内改革-京都を焼き尽くした天明の大火や、この頃広まった深刻な不況は、虎屋にも大きな影響を与えました。店主の光利は、「掟書」や「店員役割書(てんいんやくわりがき)」を記して、店員に徹底した節約と綱紀粛正を呼びかけました。 ●天皇が東京へ-明治維新と12代光正(みつまさ)-明治2年(1869)の東京遷都は、天皇を支えとする京都の人々に、大きなショックを与えました。御用商人もその対応に悩み、多くが京都の地にとどまったのに対し、光正は不慣れな地でのリスクを覚悟の上で、東京にも出店することを決心しました。現在虎屋の本社が東京にあるのも、もとはといえば光正の決断があったからなのです。 ●和菓子屋でもパン?-第二次世界大戦後の混乱を乗り越えて-深刻な第二次世界大戦後の物資不足の影響で、虎屋も手に入る原材料でパンを作ったり、喫茶店を開いてコーヒーやココアを販売するという工夫をしました。なぜ和菓子屋なのにパンが作れたのでしょうか?じつは戦時中、和菓子製造ができなくなることを予想した15代店主の武雄が、店員に技術を学ばせていたのでした。 世界にはばたく和菓子 洋菓子に比べカロリーが低い和菓子は、健康ブームも手伝って外国人の間でも人気上昇中。果物の風味を加えた羊羹de巴里、黄粉を使ったマカロン、焼きりんご羊羹、クリスマスリース形の生菓子など、パリ・ニューヨーク店のために考案された菓子とともに、海外の和菓子最新情報もご紹介しました。 展示品 江戸時代の古文書・古器物、明治時代の菓子製造風景など珍しい写真、ゴルフ最中・海軍用の羊羹・缶詰羊羹等懐かしいパッケージほか。
第62回 虎屋五世紀のあゆみ 和菓子からWAGASHIへ展
虎屋は5世紀にわたり、和菓子を作り続けてまいりました。長らく京都で禁裏御用菓子屋を勤め、明治維新を機に東京へも出店。そして第二次世界大戦や終戦後の混乱を乗り越え、和菓子文化紹介のためパリとニューヨークに店舗を設けるなど、その歴史は変化に富んでいます。この展示では虎屋の足跡を、「掟書(おきてがき)」ほか秘蔵の史料とともにご紹介いたしました。 京都で生まれて5世紀 虎屋は室町時代の後期に創業。後陽成(ごようぜい)天皇(1586~1611在位)のときには京都で御所の御用を承るようになったと伝えられています。当時の様子はいまだ謎に包まれたままですが、関ヶ原の合戦(1600年)の際に、西軍の石河備前守(いしこびぜんのかみ)を虎屋がかくまった秘話などがあります。 最初の支店は江戸時代 はじめて虎屋が支店を出したのは、なんと正徳4年(1714)。その頃江戸では色形が美しい京菓子が大ブレーク中。虎屋もわずか1年あまりでしたが、久保町(現:港区西新橋1丁目)に店を設けました。今は銀行やオフィスビルが立ち並ぶビジネス街ですが、増上寺や参詣人が多かった愛宕山などにも近く、当時はなかなか賑やかな場所だったようです。 危機に直面!そのとき虎屋は!? 経営はいつも安定していたわけではなく、何度も危機に見舞われました。それを救ったのは、時代の流れをたくみに読み取った、歴代店主の英断でした。現代のリスクマネジメントにも通じる、危機克服のエピソードをご紹介しました。 ●天明の大火(1788)と不況を乗り切る-9代光利(みつとし)の店内改革-京都を焼き尽くした天明の大火や、この頃広まった深刻な不況は、虎屋にも大きな影響を与えました。店主の光利は、「掟書」や「店員役割書(てんいんやくわりがき)」を記して、店員に徹底した節約と綱紀粛正を呼びかけました。 ●天皇が東京へ-明治維新と12代光正(みつまさ)-明治2年(1869)の東京遷都は、天皇を支えとする京都の人々に、大きなショックを与えました。御用商人もその対応に悩み、多くが京都の地にとどまったのに対し、光正は不慣れな地でのリスクを覚悟の上で、東京にも出店することを決心しました。現在虎屋の本社が東京にあるのも、もとはといえば光正の決断があったからなのです。 ●和菓子屋でもパン?-第二次世界大戦後の混乱を乗り越えて-深刻な第二次世界大戦後の物資不足の影響で、虎屋も手に入る原材料でパンを作ったり、喫茶店を開いてコーヒーやココアを販売するという工夫をしました。なぜ和菓子屋なのにパンが作れたのでしょうか?じつは戦時中、和菓子製造ができなくなることを予想した15代店主の武雄が、店員に技術を学ばせていたのでした。 世界にはばたく和菓子 洋菓子に比べカロリーが低い和菓子は、健康ブームも手伝って外国人の間でも人気上昇中。果物の風味を加えた羊羹de巴里、黄粉を使ったマカロン、焼きりんご羊羹、クリスマスリース形の生菓子など、パリ・ニューヨーク店のために考案された菓子とともに、海外の和菓子最新情報もご紹介しました。 展示品 江戸時代の古文書・古器物、明治時代の菓子製造風景など珍しい写真、ゴルフ最中・海軍用の羊羹・缶詰羊羹等懐かしいパッケージほか。
第61回 お菓子とお酒の大合戦展
歌川広重の「太平喜餅酒多多買(たいへいきもちさけたたかい)」は、江戸で庶民に親しまれていた餅(菓子)と酒が合戦を繰り広げる楽しい錦絵です。鎧兜も菓子にちなんだ蒸籠や重箱、竹皮で描かれるなど凝りに凝っており、見飽きることがありません。今回は、ここに描かれた菓子を復元し、多数の絵画資料とともにご紹介いたしました。 広重の知られざる傑作!? 東海道五十三次であまりにも有名な歌川広重(1797-1858)が、こんな作品を残していたことは、意外に知られていません。入り乱れて戦う餅と酒は、いずれも当時実際に江戸で人気のあったものです。人々はひいきの菓子や酒を見つけて楽しんだことでしょう。 凝った趣向とは? 鎧兜にご注目ください。餅軍では羊羹でおなじみの竹皮、重箱・蒸籠などが使われています。また着物の模様も酒軍なら枡やぐい飲みになっているなど、細かく書きこまれた「江戸の遊び心」。展示ではこの解明に挑みました。 江戸時代の菓子を復元! この錦絵に描かれた江戸時代の菓子を復元して展示いたしました。さらに、錦絵をはじめとする絵画資料や写真パネルを多用して、当時の菓子の姿をお目にかけました。 お酒も大暴れ 今回の展示は甘いものだけではありません。徳利や枡、樽に酒瓶など、合戦の相手、酒の展示コーナーも設け、江戸の酒事情の一端をご紹介いたしました。折しも10月1日は日本酒の日。辛党の方もご一緒にお楽しみいただけたのではないでしょうか。 展示品 江戸時代の復元菓子約30点、錦絵・版本など。
第61回 お菓子とお酒の大合戦展
歌川広重の「太平喜餅酒多多買(たいへいきもちさけたたかい)」は、江戸で庶民に親しまれていた餅(菓子)と酒が合戦を繰り広げる楽しい錦絵です。鎧兜も菓子にちなんだ蒸籠や重箱、竹皮で描かれるなど凝りに凝っており、見飽きることがありません。今回は、ここに描かれた菓子を復元し、多数の絵画資料とともにご紹介いたしました。 広重の知られざる傑作!? 東海道五十三次であまりにも有名な歌川広重(1797-1858)が、こんな作品を残していたことは、意外に知られていません。入り乱れて戦う餅と酒は、いずれも当時実際に江戸で人気のあったものです。人々はひいきの菓子や酒を見つけて楽しんだことでしょう。 凝った趣向とは? 鎧兜にご注目ください。餅軍では羊羹でおなじみの竹皮、重箱・蒸籠などが使われています。また着物の模様も酒軍なら枡やぐい飲みになっているなど、細かく書きこまれた「江戸の遊び心」。展示ではこの解明に挑みました。 江戸時代の菓子を復元! この錦絵に描かれた江戸時代の菓子を復元して展示いたしました。さらに、錦絵をはじめとする絵画資料や写真パネルを多用して、当時の菓子の姿をお目にかけました。 お酒も大暴れ 今回の展示は甘いものだけではありません。徳利や枡、樽に酒瓶など、合戦の相手、酒の展示コーナーも設け、江戸の酒事情の一端をご紹介いたしました。折しも10月1日は日本酒の日。辛党の方もご一緒にお楽しみいただけたのではないでしょうか。 展示品 江戸時代の復元菓子約30点、錦絵・版本など。
第60回 甘いもの好き殿様と和菓子展
殿様も甘党だった?! 徳川家茂、水戸黄門など、江戸時代の将軍や大名ゆかりの菓子を再現。 京都から菓子職人を呼び寄せたり、自分好みの菓子を作らせたりと、菓子に対してこだわりを見せた殿様たち。紀州徳川家、加賀前田家などに伝わった豪華な菓子の数々もあわせてご紹介しました。 黄門様、こだわりの饅頭を特注水戸黄門こと徳川光圀は、友人の誕生日に特別注文の饅頭を100個もプレゼントしています。70歳の祝いに、重さが70匁(約260g。現在の虎屋の標準サイズの約5倍)になるようにと指定したほどのこだわりようです。 将軍の行事菓子かつて江戸城では「嘉祥 (かじょう)」という盛大な行事が毎年6月16日に行われていました。将軍の前に並べられた大広間の菓子はなんと2万個以上。それが次々と大名たちに渡されていたのです。この行事に因み、現在6月16日は和菓子の日とされています。 おどろきの落雁!! - 紀州徳川家御三家の一つ、紀州徳川家の10代治宝(はるとみ)が作らせた落雁は、他に比類のない豪華さです。総本家駿河屋様が、当時の木型を使い、華麗な姿を今によみがえらせました。
第60回 甘いもの好き殿様と和菓子展
殿様も甘党だった?! 徳川家茂、水戸黄門など、江戸時代の将軍や大名ゆかりの菓子を再現。 京都から菓子職人を呼び寄せたり、自分好みの菓子を作らせたりと、菓子に対してこだわりを見せた殿様たち。紀州徳川家、加賀前田家などに伝わった豪華な菓子の数々もあわせてご紹介しました。 黄門様、こだわりの饅頭を特注水戸黄門こと徳川光圀は、友人の誕生日に特別注文の饅頭を100個もプレゼントしています。70歳の祝いに、重さが70匁(約260g。現在の虎屋の標準サイズの約5倍)になるようにと指定したほどのこだわりようです。 将軍の行事菓子かつて江戸城では「嘉祥 (かじょう)」という盛大な行事が毎年6月16日に行われていました。将軍の前に並べられた大広間の菓子はなんと2万個以上。それが次々と大名たちに渡されていたのです。この行事に因み、現在6月16日は和菓子の日とされています。 おどろきの落雁!! - 紀州徳川家御三家の一つ、紀州徳川家の10代治宝(はるとみ)が作らせた落雁は、他に比類のない豪華さです。総本家駿河屋様が、当時の木型を使い、華麗な姿を今によみがえらせました。