虎屋文庫:資料展
第76回 歴史秘話20「和菓子の贈りもの」展
名物饅頭に特注の蒸し器を添えて母に送った頼山陽(らいさんよう)。四段重の豪華な和菓子を絶賛した米国総領事ハリス。元旦に江戸城に届けられた1.5mの鏡餅や、6月16日に2万個の菓子を配る行事など、甘い贈りものにまつわる20の秘話をご紹介します。 菓子が主役!!大名の贈答 幕末の名君、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)。京都滞在中の日記には、虎屋製と思われる子持饅頭「蓬が嶋(よもがしま)」を貰い、福井にいる夫人に贈ったとあります。夏に西瓜、冬には蜜柑といった果物が届いたり、名物菓子「かせいた」を熊本藩細川家から貰ったり、大名の贈答には甘い物が欠かせなかったようです。 儒学者、頼山陽の親孝行 京都に私塾を開いた、江戸時代の儒学者頼山陽。父春水(しゅんすい)亡き後、広島の実家を守る母へ、ことあるごとに菓子を届けています。大坂の名店虎屋伊織の饅頭を送るにあたっては、よりおいしく食べてもらいたいと、蒸し器を添えたこともありました。問題を起こして家を継げなくなるなど親不孝をした山陽にとって、心尽くしの菓子はせめてもの親孝行だったのでしょう。 江戸城に巨大鏡餅がたくさん届く!? 元日の早朝、江戸城に届けられた高さ1.5mにもなる鏡餅。これは将軍とその夫人へ、親族にあたる尾張徳川家の正室から正月のお祝いに贈られたものです。他の親族からも同じく巨大なものが届き、その数は30以上になったとも。今回はこの鏡餅を高さ3分の1サイズの模型で再現しました。 贈り物にまつわる作法や形式をご紹介 格式ある贈り物には欠かせない熨斗(のし)や掛紙(かけがみ)、水引(みずひき)などについて解説します。また、風呂敷や袱紗(ふくさ)といった伝統的な贈り物のかたちもあわせてご紹介。風呂敷は実際に包んでいただける体験コーナーをご用意しました。 展示品 贈り物にまつわる再現菓子など約40点、錦絵・版本・写本ほか。40年前の虎屋テレビCMをご紹介。
第76回 歴史秘話20「和菓子の贈りもの」展
名物饅頭に特注の蒸し器を添えて母に送った頼山陽(らいさんよう)。四段重の豪華な和菓子を絶賛した米国総領事ハリス。元旦に江戸城に届けられた1.5mの鏡餅や、6月16日に2万個の菓子を配る行事など、甘い贈りものにまつわる20の秘話をご紹介します。 菓子が主役!!大名の贈答 幕末の名君、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)。京都滞在中の日記には、虎屋製と思われる子持饅頭「蓬が嶋(よもがしま)」を貰い、福井にいる夫人に贈ったとあります。夏に西瓜、冬には蜜柑といった果物が届いたり、名物菓子「かせいた」を熊本藩細川家から貰ったり、大名の贈答には甘い物が欠かせなかったようです。 儒学者、頼山陽の親孝行 京都に私塾を開いた、江戸時代の儒学者頼山陽。父春水(しゅんすい)亡き後、広島の実家を守る母へ、ことあるごとに菓子を届けています。大坂の名店虎屋伊織の饅頭を送るにあたっては、よりおいしく食べてもらいたいと、蒸し器を添えたこともありました。問題を起こして家を継げなくなるなど親不孝をした山陽にとって、心尽くしの菓子はせめてもの親孝行だったのでしょう。 江戸城に巨大鏡餅がたくさん届く!? 元日の早朝、江戸城に届けられた高さ1.5mにもなる鏡餅。これは将軍とその夫人へ、親族にあたる尾張徳川家の正室から正月のお祝いに贈られたものです。他の親族からも同じく巨大なものが届き、その数は30以上になったとも。今回はこの鏡餅を高さ3分の1サイズの模型で再現しました。 贈り物にまつわる作法や形式をご紹介 格式ある贈り物には欠かせない熨斗(のし)や掛紙(かけがみ)、水引(みずひき)などについて解説します。また、風呂敷や袱紗(ふくさ)といった伝統的な贈り物のかたちもあわせてご紹介。風呂敷は実際に包んでいただける体験コーナーをご用意しました。 展示品 贈り物にまつわる再現菓子など約40点、錦絵・版本・写本ほか。40年前の虎屋テレビCMをご紹介。
「富岡鉄斎とその周辺」展
虎屋京都店の近くに住んでいた富岡鉄斎(1836-1924)は、 当時、支配人であった黒川正弘(魁亭・14代店主黒川光景の実弟)と 非常に親しい関係にあり、正弘を「拙者の愛弟子」と紹介する こともあったといわれます。現在、使用している竹に虎の掛紙も、虎屋のために鉄斎が描いたものです。この度は、昨年調査した美術品の中から、鉄斎の作品とともに、 彼が影響を受けた作家知人らの作品をご紹介いたします。 <展示品>富岡鉄斎 青緑山水図・仙縁奇遇図・墨龍図狩野探幽 墨竹図与謝蕪村 初夏之山水図伊藤若冲 伏見人形図 ほか未公開作品含む全15点 初夏之山水図 青緑山水図 伏見人形図(部分)
「富岡鉄斎とその周辺」展
虎屋京都店の近くに住んでいた富岡鉄斎(1836-1924)は、 当時、支配人であった黒川正弘(魁亭・14代店主黒川光景の実弟)と 非常に親しい関係にあり、正弘を「拙者の愛弟子」と紹介する こともあったといわれます。現在、使用している竹に虎の掛紙も、虎屋のために鉄斎が描いたものです。この度は、昨年調査した美術品の中から、鉄斎の作品とともに、 彼が影響を受けた作家知人らの作品をご紹介いたします。 <展示品>富岡鉄斎 青緑山水図・仙縁奇遇図・墨龍図狩野探幽 墨竹図与謝蕪村 初夏之山水図伊藤若冲 伏見人形図 ほか未公開作品含む全15点 初夏之山水図 青緑山水図 伏見人形図(部分)
第75回 お宝満載!吉田コレクション「蘇る 江戸~明治の和菓子の世界-」展
和菓子研究家吉田隆一氏が所蔵する約3,000点の菓子資料から、錦絵・製菓道具・版本などをご紹介します。雷様のおこし売り、誕生祝いに用意された580個の餅など、笑いや驚きに満ちた和菓子の世界をどうぞお楽しみください。 吉田コレクションとは 吉田コレクションは、和菓子研究家吉田隆一氏が所蔵する、菓子関連資料です。錦絵、 菓子木型などの製菓道具、井籠(せいろう=菓子を運ぶ容器)、書籍ほか多岐にわたり、その数はおよそ3,000 点にも及びます。個人のコレクションとしては有数といえます。 人々の暮らしをうつす錦絵 江戸から明治にかけて盛んに作られた錦絵は、当時の人々の暮らしを知る上で貴重な資料といえるでしょう。菓子もたくさん出てきます。 上の画像は浅草の雷門の火災を題材に描いたものです。焼け出された雷様が雷おこしを売るという趣向なのですが、子どもたちに菓子袋を渡す手つきも、なかなかさまになっています。 昔の菓子作りを知る 昔の菓子作りにはどのような製造道具を使っていたのでしょうか。コレクションのなかには、今では見ることがない珍しいものもあります。カステラ鍋はカステラ専用の製造道具。生地を鍋に入れて、鍋の下から熱するだけでなく蓋の上にも炭などを置いて焼き上げます。オーブンがまだなかった時代に、工夫をしていたことがわかる貴重な資料です。 豪華な菓子容器、井籠 江戸時代、菓子を運ぶのに「井籠(せいろう)」という容器が使われました。多くは足つきの五段重で、螺鈿(らでん)細工の豪華なものもあります。珍しい円筒形のものなどさまざまな井籠を展示します。 誕生祝いに580個の餅 松江藩松平家9代藩主斉貴(なりたけ)の姫の誕生を祝う記録を見ると、なんと580個の餅が用意されたことが書かれています。三宝にうず高く積まれた餅の絵図は圧巻です。このほか、色鮮やかな菓子の絵図帳(現在の商品カタログにあたる)や、製法書などもご紹介します。 展示品 菓子関連の錦絵・製造道具・版本・写本など約120点、再現菓子など約60点。
第75回 お宝満載!吉田コレクション「蘇る 江戸~明治の和菓子の世界-」展
和菓子研究家吉田隆一氏が所蔵する約3,000点の菓子資料から、錦絵・製菓道具・版本などをご紹介します。雷様のおこし売り、誕生祝いに用意された580個の餅など、笑いや驚きに満ちた和菓子の世界をどうぞお楽しみください。 吉田コレクションとは 吉田コレクションは、和菓子研究家吉田隆一氏が所蔵する、菓子関連資料です。錦絵、 菓子木型などの製菓道具、井籠(せいろう=菓子を運ぶ容器)、書籍ほか多岐にわたり、その数はおよそ3,000 点にも及びます。個人のコレクションとしては有数といえます。 人々の暮らしをうつす錦絵 江戸から明治にかけて盛んに作られた錦絵は、当時の人々の暮らしを知る上で貴重な資料といえるでしょう。菓子もたくさん出てきます。 上の画像は浅草の雷門の火災を題材に描いたものです。焼け出された雷様が雷おこしを売るという趣向なのですが、子どもたちに菓子袋を渡す手つきも、なかなかさまになっています。 昔の菓子作りを知る 昔の菓子作りにはどのような製造道具を使っていたのでしょうか。コレクションのなかには、今では見ることがない珍しいものもあります。カステラ鍋はカステラ専用の製造道具。生地を鍋に入れて、鍋の下から熱するだけでなく蓋の上にも炭などを置いて焼き上げます。オーブンがまだなかった時代に、工夫をしていたことがわかる貴重な資料です。 豪華な菓子容器、井籠 江戸時代、菓子を運ぶのに「井籠(せいろう)」という容器が使われました。多くは足つきの五段重で、螺鈿(らでん)細工の豪華なものもあります。珍しい円筒形のものなどさまざまな井籠を展示します。 誕生祝いに580個の餅 松江藩松平家9代藩主斉貴(なりたけ)の姫の誕生を祝う記録を見ると、なんと580個の餅が用意されたことが書かれています。三宝にうず高く積まれた餅の絵図は圧巻です。このほか、色鮮やかな菓子の絵図帳(現在の商品カタログにあたる)や、製法書などもご紹介します。 展示品 菓子関連の錦絵・製造道具・版本・写本など約120点、再現菓子など約60点。
第74回 「和菓子を作る-職人の世界-」展
材料選びから餡作り、美しい生菓子を作り出す熟練の手わざまで、こだわりと愛情でいっぱいの和菓子職人の世界をご紹介いたします。また、製菓道具や原材料、江戸時代の菓子作りの史料なども合わせて展示いたします。普段あまり目にすることのない、和菓子作りのいろいろをお楽しみください。 原材料の吟味 餡の味はその店の菓子の味を決めるといっても過言ではありません。白餡は一般に隠元豆で作られますが、虎屋の生菓子用の白餡は白小豆だけを使用しています。生産量が少なく高価ですが、風味が素晴らしいためです。原材料は菓子にふさわしいものが吟味されます。 職人の手は「秤」 虎屋の饅頭用の餡は30g、生菓子の芯となる餡玉は18~20gが中心です。職人は、手と目の感覚でそれぞれの量をとり分けます。ベテランになると、1gの違いもわかるとか。秤(はかり)を使うのは、あくまでも確認用なのです。 菓子を生み出す指先 山芋を使った生地で餡を包んで蒸しあげ、赤い目と焼印の耳や鼻をつけると、可愛らしい『兎饅(うさぎまん)』ができあがります。職人の指先から菓子が生まれる様子は、見ていて飽きることがありません。動画や写真を多用して、数々の工程をご覧にいれます。 史料に見える菓子作り 実物が残ることのない昔の菓子の姿を今に伝える江戸時代の史料や、虎屋の文書・古写真を集めました。特に挿絵や製造風景の写真からは臨場感も感じられます。昭和初期のマスクは黒かった!など意外な発見も。 職人の創作羊羹コンテスト 御殿場工場の職人たちが、今回の展示のために、創作羊羹を作りました。中には遊び心あふれるものも・・・?お気に入りの作品を見つけてください。 展示品 和菓子製造の写真・動画、製造道具、製菓関係史料、和菓子 約50点ほか。
第74回 「和菓子を作る-職人の世界-」展
材料選びから餡作り、美しい生菓子を作り出す熟練の手わざまで、こだわりと愛情でいっぱいの和菓子職人の世界をご紹介いたします。また、製菓道具や原材料、江戸時代の菓子作りの史料なども合わせて展示いたします。普段あまり目にすることのない、和菓子作りのいろいろをお楽しみください。 原材料の吟味 餡の味はその店の菓子の味を決めるといっても過言ではありません。白餡は一般に隠元豆で作られますが、虎屋の生菓子用の白餡は白小豆だけを使用しています。生産量が少なく高価ですが、風味が素晴らしいためです。原材料は菓子にふさわしいものが吟味されます。 職人の手は「秤」 虎屋の饅頭用の餡は30g、生菓子の芯となる餡玉は18~20gが中心です。職人は、手と目の感覚でそれぞれの量をとり分けます。ベテランになると、1gの違いもわかるとか。秤(はかり)を使うのは、あくまでも確認用なのです。 菓子を生み出す指先 山芋を使った生地で餡を包んで蒸しあげ、赤い目と焼印の耳や鼻をつけると、可愛らしい『兎饅(うさぎまん)』ができあがります。職人の指先から菓子が生まれる様子は、見ていて飽きることがありません。動画や写真を多用して、数々の工程をご覧にいれます。 史料に見える菓子作り 実物が残ることのない昔の菓子の姿を今に伝える江戸時代の史料や、虎屋の文書・古写真を集めました。特に挿絵や製造風景の写真からは臨場感も感じられます。昭和初期のマスクは黒かった!など意外な発見も。 職人の創作羊羹コンテスト 御殿場工場の職人たちが、今回の展示のために、創作羊羹を作りました。中には遊び心あふれるものも・・・?お気に入りの作品を見つけてください。 展示品 和菓子製造の写真・動画、製造道具、製菓関係史料、和菓子 約50点ほか。
第73回 夏の特別企画「和菓子の歴史」展
羊羹は羊のスープだった? 金平糖はポルトガルのお菓子だった? 現在おなじみの和菓子には、意外な起源がありました。今回は、夏の特別企画として、古代から現代にいたる和菓子の歴史をご紹介いたします。 「菓子」は本来、木の実や果物を指す言葉で、餅や団子なども同類と見なされました。これら日本古来の食べ物に外来の食べ物が影響を与え、和菓子は今日見るような形に変化していきます。 外国からやってきた菓子 飛鳥~平安時代、遣唐使などにより、「唐菓子(とうがし)」が中国から伝えられました。また鎌倉~室町時代には、禅僧などによって中国から饅頭や羊羹が、戦国~江戸時代初期にはポルトガル・スペイン人によってカステラや金平糖などがもたらされました。和菓子発展に影響を与えたこれらの菓子を復元するほか、京都・東福寺の開祖聖一国師(しょういちこくし)が、博多の茶店の主人に饅頭の製法を伝えた際に書き与えたとされる「御饅頭所看板(おまんじゅうどころかんばん)」なども展示します。 京都で花開いた雅な和菓子 和菓子が大成したのは鎖国(さこく)下の江戸時代、元禄期(1688~1704)のことといわれます。砂糖の流通量の増加や茶の湯の隆盛などを受け、京都で高価な白砂糖を使った美しい意匠と優雅な菓銘の「上菓子(じょうがし)」が生まれました。虎屋の菓子絵図帳(現在の商品カタログにあたる)、元禄8年(1695)〈御菓子之畫圖(おかしのえず)〉から菓子を再現するほか、宮中や大名からの注文によって作られた豪華な菓子なども展示します。 買ったり、贈ったり~庶民の楽しみ方~ 江戸時代、隅田川名物の桜餅や目黒不動尊の三官飴(さんがんあめ)など、行楽地や寺社の門前で売られた菓子は、広く人々に親しまれました。また端午(たんご)の節句に柏餅、彼岸には牡丹餅(ぼたもち)を近親者に配るという風習も定着しました。さまざまな場面で庶民が楽しんだ菓子をご紹介します。 和と洋のコラボレーション 明治時代、たくさんの洋菓子がヨーロッパから日本にもたらされます。その影響を受け、あんぱんほか、カステラで餡や羊羹をはさんだシベリアなど折衷菓子(せっちゅうがし)が生まれました。なかには、当時高級果物だったバナナをかたどったものも……。 厳しい時代を乗り越えて現代に生き続ける和菓子 戦時下、砂糖や小豆などの原材料の入手が厳しく制限されます。人々はどのように和菓子を作り、食べていたのでしょうか。少ない配給物資で作った代用食、兵士に配られた携帯用の羊羹など、戦時期の和菓子をご覧いただきます。また、戦後から現在にかけては、いちご大福のような自由な発想のものが生まれたり、植物性原材料の和菓子が海外で人気を呼ぶなど、新たな展開が見られます。 ※羊羹変身譚羊羹は、発祥の地中国では、羊の肉を入れたとろみのある汁物でした。しかし、鎌倉~室町時代に羊羹を伝えた禅僧は肉食を禁じられていたため、小豆などを使って見立て料理にしました。その後、見立て料理は蒸羊羹に、さらに江戸時代後期には、寒天を使用した煉羊羹が作られるようになりました。知られざる羊羹の変身譚をご紹介します。 展示品 縄文クッキーや唐菓子など、菓子の復元約20点、上菓子や折衷菓子ほか約50点。看板、古文書など約40点。
第73回 夏の特別企画「和菓子の歴史」展
羊羹は羊のスープだった? 金平糖はポルトガルのお菓子だった? 現在おなじみの和菓子には、意外な起源がありました。今回は、夏の特別企画として、古代から現代にいたる和菓子の歴史をご紹介いたします。 「菓子」は本来、木の実や果物を指す言葉で、餅や団子なども同類と見なされました。これら日本古来の食べ物に外来の食べ物が影響を与え、和菓子は今日見るような形に変化していきます。 外国からやってきた菓子 飛鳥~平安時代、遣唐使などにより、「唐菓子(とうがし)」が中国から伝えられました。また鎌倉~室町時代には、禅僧などによって中国から饅頭や羊羹が、戦国~江戸時代初期にはポルトガル・スペイン人によってカステラや金平糖などがもたらされました。和菓子発展に影響を与えたこれらの菓子を復元するほか、京都・東福寺の開祖聖一国師(しょういちこくし)が、博多の茶店の主人に饅頭の製法を伝えた際に書き与えたとされる「御饅頭所看板(おまんじゅうどころかんばん)」なども展示します。 京都で花開いた雅な和菓子 和菓子が大成したのは鎖国(さこく)下の江戸時代、元禄期(1688~1704)のことといわれます。砂糖の流通量の増加や茶の湯の隆盛などを受け、京都で高価な白砂糖を使った美しい意匠と優雅な菓銘の「上菓子(じょうがし)」が生まれました。虎屋の菓子絵図帳(現在の商品カタログにあたる)、元禄8年(1695)〈御菓子之畫圖(おかしのえず)〉から菓子を再現するほか、宮中や大名からの注文によって作られた豪華な菓子なども展示します。 買ったり、贈ったり~庶民の楽しみ方~ 江戸時代、隅田川名物の桜餅や目黒不動尊の三官飴(さんがんあめ)など、行楽地や寺社の門前で売られた菓子は、広く人々に親しまれました。また端午(たんご)の節句に柏餅、彼岸には牡丹餅(ぼたもち)を近親者に配るという風習も定着しました。さまざまな場面で庶民が楽しんだ菓子をご紹介します。 和と洋のコラボレーション 明治時代、たくさんの洋菓子がヨーロッパから日本にもたらされます。その影響を受け、あんぱんほか、カステラで餡や羊羹をはさんだシベリアなど折衷菓子(せっちゅうがし)が生まれました。なかには、当時高級果物だったバナナをかたどったものも……。 厳しい時代を乗り越えて現代に生き続ける和菓子 戦時下、砂糖や小豆などの原材料の入手が厳しく制限されます。人々はどのように和菓子を作り、食べていたのでしょうか。少ない配給物資で作った代用食、兵士に配られた携帯用の羊羹など、戦時期の和菓子をご覧いただきます。また、戦後から現在にかけては、いちご大福のような自由な発想のものが生まれたり、植物性原材料の和菓子が海外で人気を呼ぶなど、新たな展開が見られます。 ※羊羹変身譚羊羹は、発祥の地中国では、羊の肉を入れたとろみのある汁物でした。しかし、鎌倉~室町時代に羊羹を伝えた禅僧は肉食を禁じられていたため、小豆などを使って見立て料理にしました。その後、見立て料理は蒸羊羹に、さらに江戸時代後期には、寒天を使用した煉羊羹が作られるようになりました。知られざる羊羹の変身譚をご紹介します。 展示品 縄文クッキーや唐菓子など、菓子の復元約20点、上菓子や折衷菓子ほか約50点。看板、古文書など約40点。
第72回 「虎屋・寅年・虎づくし」展
異国の猛獣、虎は、日本人の想像力をかきたてる動物として親しまれてきました。今回は2010年の寅年にちなみ、大漁や無病息災を願って踊る勇壮な虎舞(とらまい)、表情豊かな郷土玩具など、文化や生活に息づく「虎」をご紹介します。さまざまな虎の菓子もあわせてお楽しみください。 虎は日本には生息していなかったため、多くの日本人が本物の虎を目にするようになるのは、幕末以降のことです。ところがそのずっと以前から、美術品や物語、行事に見世物、商店の屋号にまで、虎は登場しています。その人気の秘密は…? 怖い?かわいい?暴れる巨大な虎 大里の七夕踊(鹿児島県いちき串木野市)では、大きな虎の「作い物(つくいもん)」が炎天下の川岸や畦道(あぜみち)で大暴れ。左右に首を振り、口を開け、舌を揺らして「虎捕(とらと)り」(退治役)に迫る姿には、不思議と愛嬌も感じられます。八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)(八戸市)の虎舞や浦賀の虎踊り(横須賀市)などの行事や民俗芸能を、動画とともにご紹介します。 達磨を乗せた虎張子 文政3年(1820)、名古屋のお祭に張子の虎を使った不思議な見世物が出現しました。虎の背中には達磨、隣にはひょっとこのお面を付けた人形が…。これは当時一世を風靡した籠細工(竹で編んだ作り物)見世物のパロディです。今回はこの虎張子を用いた見世物を再現します。当時の人気の一端に触れていただければ幸いです。 各地の虎玩具が集合 茶目っ気たっぷりに首を振る虎張子を中心に、各地に伝わる郷土玩具を集めました。見開いた目、大きな耳にピンと張った髭と、それぞれ特徴ある姿をご覧ください。 三都の「虎屋」が大繁盛 江戸時代の三都にはそれぞれ「虎屋」を名乗る菓子屋がありました。大坂高麗橋の虎屋伊織(いおり)は観光名所になるほどの人気を誇った饅頭の名店。江戸には幕府の菓子御用を勤めた虎屋織江(おりえ)のほか、芝居小屋への出入りで江戸っ子に親しまれた虎屋高林(こうりん)がありました。そして京都の虎屋(現在の株式会社虎屋)は、江戸時代を通して御所御用を続けた菓子屋です。当時の各「虎屋」のお菓子を再現するほか、繁盛ぶりを物語る錦絵、当社の屋号の由来に関する古文書や看板、井籠を展示します。 三都の「虎屋」が大繁盛 昭和61年(1986年)の寅年にちなんで考案された大きな虎の干菓子、虎の小麦粉煎餅、社員から図案を募集した干支菓子など、虎屋ではいろいろな虎の菓子が作られてきました。また、江戸時代の史料から復元した虎意匠の菓子、フランスやスウェーデン、オランダほかで作られている、虎の名を冠した菓子やパンもお楽しみください。このほか、虎にちなんだ美術品、現在絶滅の危機に瀕している虎の保護活動(*)なども、ご紹介いたします。 *虎屋では、1994年より、WWFジャパン(世界自然保護基金ジャパン)の「トラ保護活動」に協力し、とらやオリジナルグッズの売り上げの一部を寄付しております。*2009年11月開催の、お菓子も楽しい!「虎屋・寅年・虎づくし」展において、ご来場のお客様よりおあずかりした募金は、総額34,126円となり、「トラ保護指定募金」としてWWFジャパンへ寄付いたしました。皆様のあたたかいご支援に、改めて厚く御礼申し上げます。 展示品 虎屋に残る井籠・看板、古文書。虎にまつわる菓子約20点、江戸時代の虎屋の菓子復元約10点。富岡鉄斎筆「狂虎之図」ほか虎にちなんだ美術品や各地の郷土玩具。
第72回 「虎屋・寅年・虎づくし」展
異国の猛獣、虎は、日本人の想像力をかきたてる動物として親しまれてきました。今回は2010年の寅年にちなみ、大漁や無病息災を願って踊る勇壮な虎舞(とらまい)、表情豊かな郷土玩具など、文化や生活に息づく「虎」をご紹介します。さまざまな虎の菓子もあわせてお楽しみください。 虎は日本には生息していなかったため、多くの日本人が本物の虎を目にするようになるのは、幕末以降のことです。ところがそのずっと以前から、美術品や物語、行事に見世物、商店の屋号にまで、虎は登場しています。その人気の秘密は…? 怖い?かわいい?暴れる巨大な虎 大里の七夕踊(鹿児島県いちき串木野市)では、大きな虎の「作い物(つくいもん)」が炎天下の川岸や畦道(あぜみち)で大暴れ。左右に首を振り、口を開け、舌を揺らして「虎捕(とらと)り」(退治役)に迫る姿には、不思議と愛嬌も感じられます。八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)(八戸市)の虎舞や浦賀の虎踊り(横須賀市)などの行事や民俗芸能を、動画とともにご紹介します。 達磨を乗せた虎張子 文政3年(1820)、名古屋のお祭に張子の虎を使った不思議な見世物が出現しました。虎の背中には達磨、隣にはひょっとこのお面を付けた人形が…。これは当時一世を風靡した籠細工(竹で編んだ作り物)見世物のパロディです。今回はこの虎張子を用いた見世物を再現します。当時の人気の一端に触れていただければ幸いです。 各地の虎玩具が集合 茶目っ気たっぷりに首を振る虎張子を中心に、各地に伝わる郷土玩具を集めました。見開いた目、大きな耳にピンと張った髭と、それぞれ特徴ある姿をご覧ください。 三都の「虎屋」が大繁盛 江戸時代の三都にはそれぞれ「虎屋」を名乗る菓子屋がありました。大坂高麗橋の虎屋伊織(いおり)は観光名所になるほどの人気を誇った饅頭の名店。江戸には幕府の菓子御用を勤めた虎屋織江(おりえ)のほか、芝居小屋への出入りで江戸っ子に親しまれた虎屋高林(こうりん)がありました。そして京都の虎屋(現在の株式会社虎屋)は、江戸時代を通して御所御用を続けた菓子屋です。当時の各「虎屋」のお菓子を再現するほか、繁盛ぶりを物語る錦絵、当社の屋号の由来に関する古文書や看板、井籠を展示します。 三都の「虎屋」が大繁盛 昭和61年(1986年)の寅年にちなんで考案された大きな虎の干菓子、虎の小麦粉煎餅、社員から図案を募集した干支菓子など、虎屋ではいろいろな虎の菓子が作られてきました。また、江戸時代の史料から復元した虎意匠の菓子、フランスやスウェーデン、オランダほかで作られている、虎の名を冠した菓子やパンもお楽しみください。このほか、虎にちなんだ美術品、現在絶滅の危機に瀕している虎の保護活動(*)なども、ご紹介いたします。 *虎屋では、1994年より、WWFジャパン(世界自然保護基金ジャパン)の「トラ保護活動」に協力し、とらやオリジナルグッズの売り上げの一部を寄付しております。*2009年11月開催の、お菓子も楽しい!「虎屋・寅年・虎づくし」展において、ご来場のお客様よりおあずかりした募金は、総額34,126円となり、「トラ保護指定募金」としてWWFジャパンへ寄付いたしました。皆様のあたたかいご支援に、改めて厚く御礼申し上げます。 展示品 虎屋に残る井籠・看板、古文書。虎にまつわる菓子約20点、江戸時代の虎屋の菓子復元約10点。富岡鉄斎筆「狂虎之図」ほか虎にちなんだ美術品や各地の郷土玩具。