和菓子を知る:和菓子をめぐる小さなお話
御好(おこのみ)
茶の湯の世界では、茶人の指示でつくらせた道具などに「〇〇好」と冠することがあります。とらやでも『御好雪の下餅』『御好生田森』など、江戸時代後期から、値段帳などに「御好」をつけた菓銘が見られます。同時代の宮中関係の御用記録に「御好にて仰せつけられ」という書き方があるので、天皇や公家など、高貴な方の指示により、おつくりしたものなのでしょう。近代以降は、茶会の趣向や茶人のご希望などにより、既存の菓子の色や素材をかえて「御好」の名を冠することもあります。
御好(おこのみ)
茶の湯の世界では、茶人の指示でつくらせた道具などに「〇〇好」と冠することがあります。とらやでも『御好雪の下餅』『御好生田森』など、江戸時代後期から、値段帳などに「御好」をつけた菓銘が見られます。同時代の宮中関係の御用記録に「御好にて仰せつけられ」という書き方があるので、天皇や公家など、高貴な方の指示により、おつくりしたものなのでしょう。近代以降は、茶会の趣向や茶人のご希望などにより、既存の菓子の色や素材をかえて「御好」の名を冠することもあります。
古今和歌集(こきんわかしゅう)
『古今和歌集』は、平安時代前期に成立した、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集(天皇・上皇の命によって編纂された和歌集)です。 全20巻からなり、醍醐天皇(だいごてんのう・897~930在位)の命により、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)によって撰ばれた、六歌仙※や撰者らの歌約1,100首を収録。季節の移ろいや、繊細な心情を詠んだ雅な歌の数々は、日本人の四季に対する愛着や、美意識の原点になっているともいわれます。 江戸時代になると、『古今和歌集』を代表として、和歌に想を得た上菓子が好んで作られるようになりました。※ 在原業平、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀(ふんやのやすひで)、小野小町。 画像出典:ColBaseより 土佐光起筆「六歌仙図」を加工して作成。
古今和歌集(こきんわかしゅう)
『古今和歌集』は、平安時代前期に成立した、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集(天皇・上皇の命によって編纂された和歌集)です。 全20巻からなり、醍醐天皇(だいごてんのう・897~930在位)の命により、紀友則、紀貫之、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)によって撰ばれた、六歌仙※や撰者らの歌約1,100首を収録。季節の移ろいや、繊細な心情を詠んだ雅な歌の数々は、日本人の四季に対する愛着や、美意識の原点になっているともいわれます。 江戸時代になると、『古今和歌集』を代表として、和歌に想を得た上菓子が好んで作られるようになりました。※ 在原業平、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀(ふんやのやすひで)、小野小町。 画像出典:ColBaseより 土佐光起筆「六歌仙図」を加工して作成。
二十四節気(にじゅうしせっき)
二十四節気とは、一年(太陽年)を24に分けて季節を表したもので、四季折々の風物をうつす和菓子の世界とも、深い関わりがあります。(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)。 農業などに活用されましたが、もともと中国で作られたものなので、日本の気候と合わない面もあり、これを補うために節分や彼岸、土用などの「雑節(ざっせつ)」が作られました。 画像:四季折々の菓子。右上から時計回りに 『手折桜』『水の宿』『落葉』『深山の雪』。
二十四節気(にじゅうしせっき)
二十四節気とは、一年(太陽年)を24に分けて季節を表したもので、四季折々の風物をうつす和菓子の世界とも、深い関わりがあります。(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨・立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒)。 農業などに活用されましたが、もともと中国で作られたものなので、日本の気候と合わない面もあり、これを補うために節分や彼岸、土用などの「雑節(ざっせつ)」が作られました。 画像:四季折々の菓子。右上から時計回りに 『手折桜』『水の宿』『落葉』『深山の雪』。
御銘(ぎょめい)
虎屋の菓銘のなかには、天皇家や宮家、摂関家などの高位の方からいただいた「御銘(名)」があります。天皇では、光格天皇(1779~1817在位)からの銘が多く、たとえば『唐衣』(からごろも)『長月』『下染』(したぞめ)があげられるでしょう。また、公家では近衛家の当主の銘が数多く、特に近衛内前(このえうちさき・1728~85)公からは、子持ち饅頭に『蓬が嶋』(よもがしま)、蕨(わらび)餅に『岡大夫』(おかだゆう)など、32もの銘をいただいています。天皇家の命銘の場合は口頭で伝えられ、その旨が御用記録に記されましたが、近衛家などでは命銘書が出されました。 御銘の菓子は店頭に並ぶこともありますので、機会がありましたらぜひお楽しみください。 画像:「修学院御茶屋江 仙洞御所御幸ニ付御用留帳」より。『長月』『下染』は、光格天皇(当時は上皇)が御好みになり、文政12年(1829)9月14日に御銘をくださった。「御好被仰出御銘被下置候也」と見える。
御銘(ぎょめい)
虎屋の菓銘のなかには、天皇家や宮家、摂関家などの高位の方からいただいた「御銘(名)」があります。天皇では、光格天皇(1779~1817在位)からの銘が多く、たとえば『唐衣』(からごろも)『長月』『下染』(したぞめ)があげられるでしょう。また、公家では近衛家の当主の銘が数多く、特に近衛内前(このえうちさき・1728~85)公からは、子持ち饅頭に『蓬が嶋』(よもがしま)、蕨(わらび)餅に『岡大夫』(おかだゆう)など、32もの銘をいただいています。天皇家の命銘の場合は口頭で伝えられ、その旨が御用記録に記されましたが、近衛家などでは命銘書が出されました。 御銘の菓子は店頭に並ぶこともありますので、機会がありましたらぜひお楽しみください。 画像:「修学院御茶屋江 仙洞御所御幸ニ付御用留帳」より。『長月』『下染』は、光格天皇(当時は上皇)が御好みになり、文政12年(1829)9月14日に御銘をくださった。「御好被仰出御銘被下置候也」と見える。
菓子見本帳
菓子見本帳とは菓子のデザイン帳のことで、今日の商品カタログに相当するもの。虎屋の見本帳は、江戸時代から昭和に至る43件53冊が残っています。これらの中で江戸時代の年紀のあるものは少ないのですが、そのうち4点を紹介しましょう。右上は元禄8年(1695)につくられた現存する最も古い見本帳。左上が宝永4年(1707)、下2点が文政7年(1824)のものです。時代を追うごとに菓子の種類が増え、製造技術も進歩したことがうかがえます。 なお、『なすび餅』(宝永4年・右から3番目)や、『指出の磯』(文政7年・左から2番目)のように、現在も販売している人気の菓子もあります。
菓子見本帳
菓子見本帳とは菓子のデザイン帳のことで、今日の商品カタログに相当するもの。虎屋の見本帳は、江戸時代から昭和に至る43件53冊が残っています。これらの中で江戸時代の年紀のあるものは少ないのですが、そのうち4点を紹介しましょう。右上は元禄8年(1695)につくられた現存する最も古い見本帳。左上が宝永4年(1707)、下2点が文政7年(1824)のものです。時代を追うごとに菓子の種類が増え、製造技術も進歩したことがうかがえます。 なお、『なすび餅』(宝永4年・右から3番目)や、『指出の磯』(文政7年・左から2番目)のように、現在も販売している人気の菓子もあります。
立春
暦の上では春のはじまりである立春。現在では2月の4~5日頃にあたり、その前日が節分です。 旧暦では立春から新しい年となり、禅宗寺院などではこの日、「立春大吉」と書いた厄除けの札を門に貼る習わしがあります。まだまだ寒さが厳しくはあるものの、日ごとに日足が伸び、春の訪れを感じる頃といえるでしょう。この時期、和菓子では、春の魁(さきがけ)とも呼ばれる梅の意匠などが好まれます。
立春
暦の上では春のはじまりである立春。現在では2月の4~5日頃にあたり、その前日が節分です。 旧暦では立春から新しい年となり、禅宗寺院などではこの日、「立春大吉」と書いた厄除けの札を門に貼る習わしがあります。まだまだ寒さが厳しくはあるものの、日ごとに日足が伸び、春の訪れを感じる頃といえるでしょう。この時期、和菓子では、春の魁(さきがけ)とも呼ばれる梅の意匠などが好まれます。